病院で過ごした中学時代

こんにちは、ジロウです。

目次

海賊王(嘘)うらしま太郎にオレはなる!・・・いや全然ならなくていいんですけど。

【うらしまたろう】は、竜宮城から帰ってきた浦島太郎が一瞬でおじいさんになってしまう物語。

衝撃の結末が子供心に強く残った。

実はオレ。

うらしまたろうの生まれ変わりか!?

と思ったことが何度もある。

どういうこと?

酷い目にあったのさ

福音館書店様サイトより画像お借りしています。

今日は最初の『うらしまジロウ事件』を綴っていく。

ヘビーな内容なんだ。

ブログに書くか悩んだけど、ここに至る全てが今の自分につながってると思うから。

やはり幼少期にさかのぼって書くことにしたんだ。

この経験が自分を変えたことは確か。

タイヤのついた乗り物ではあるけれど自動車の話ではない。

それでも車くる男としては書かずにはいられない。

そんな話を始めよう。

生い立ち

オレは3兄妹の真ん中で次男坊。

一般的に言われるように要領が良くて社交的、子供の頃から世渡り上手。

また、その自覚がある子供だった。

2つ年上の兄貴が大好きでいつも追いかけ回して一緒に遊んでいた。

兄貴はいつも受け入れてくれた。

それは今も変わらない。

オレが幼稚園年長の時

兄貴が掛け算九九を暗記していた。

呪文のように九九を唱える兄貴。

それが面白くていつも見ていた。

お経みたいなリズム感。

もう聞いてて楽しいしかない。

途中何度もつまずく兄貴。

そのうち兄貴が間違えるところも正しい答えも先に覚えてしまったw

掛け算九九は年長さんでマスターしたぜ!

可愛げのない弟だw

そのうち兄貴に負けたくない気持ちが強くなった。

鬼ごっこもソフトボールも必死に食らい付いていくようになったんだ。

子供時代の2歳差ってもの凄く大きいよね。

勝てるはずない勝負を毎日繰り返した結果。

オレは全力の出し方をいつのまにか身につけていた。

神童と呼ばれて

小学校6年生。

文武両道を地でいく自分に怖いものなし。

自転車安全競技大会(自動二輪免許試験の自転車版)県大会 個人優勝

交通標識はこのとき既に完全暗記、自動二輪相当学科試験も難なくクリア。

実技試験も自動二輪でなく自転車だけどほぼ満点。

そりゃ自信もつきますわ。

陸上競技大会ハードル競技で個人優勝。

成績優秀スポーツ万能、順風満帆の小学生時代。

今のオレしか知らない人が想像できるか聞いてみたかったりするwww

親だったら自慢したくなる息子・・・・だったろうね、多分。

その頃、近所の薬屋のおばちゃんがよく家に来ていたんだ。

何でもかんでも言い当てると評判の人。

おばちゃんは宜保愛子さん(知ってる?)にそっくりだった。

何もかもお見通し、そんな目に畏怖を感じていた。

ある日、おばちゃんにじっと顔を覗き込むように見られると・・・

あんたは大器晩成!40歳過ぎたら良くなるけどそれまでは物凄く苦労するからね!!!!!!!

え。

当時12歳。30年先に良くなるって話は全くピンと来なかった。しかもその時は神童と呼ばれていた自分。

物凄く苦労??
今、全く苦労なんてしてませんけど??

苦労どころか栄光しかない当時のオレ。

どういうこと???

全く意味もわからないまま、しっかりスルーしたことを今でもしっかり覚えている。

母の誕生日に事件は起こった

中学生になってからも優等生のオレは元気いっぱいだった。

勉強に野球に中学校生活を満喫。

当時の中学校は荒れていたけど、3年生に兄貴がいるってだけでオレは先輩たちからも可愛がられた。

役得・・・w

校内暴力なんて言葉ができたのもこの当時で3年B組金八先生が流行ってた。

現実にありそでなさそなストーリーにみんなが釘付けになっていた。

楽しい中学校生活3ヶ月目、

昭和55年6月23日、お母さんの誕生日に起こったオレの悲劇

近所の模型屋さんでさんざん遊んだ兄貴とオレは、家路を急いでいた。

暗くなる前に帰らなくちゃ!!

2台の自転車は猛スピードでペダルを漕ぐ。

とうとう薄暗くなってきて。

前輪のダイナモに足先を伸ばした瞬間、オレは飛んだ。

身体が路面に投げ出され数回転。

つま先と顔面に激痛が走ったのを最後にそこから先の記憶無し。

気づいた時は病院のベッドで唸っていた・・・・・。

入院生活、そして

入院生活は6ヶ月に及んだ。

手術、転院、治療、入院、それしかない生活。

病室のシーツは泣きたくなるほど白かった。

痛くて何もできない、触れない。

鏡を見ることもできない。

自分の未来に絶望した。

怪我の惨状は割愛する。

完治には6ヶ月を要した。

自転車安全競技大会個人優勝したオレが自転車で自爆。

栄光から地獄に転落するのは一瞬のことだったよ。

そして半年。

12月を半分過ぎた頃、やっと退院することができた。

両親と兄貴と妹、当たり前に一緒にいた人の元に帰ることができた。

嬉しかった。

そして風呂。

バスタイムやほー♪・・・・・・・なはずだった。

しかし。

鏡に映ったその人はもはや誰かもわからなかった。

真っ白な顔、ガリガリの腕、ほっそい足。

筋肉無し、体力無し、・・・・・・・・・6ヶ月間記憶も無し。

オレは見た目も変わりすぎていた。

絶望しつつ行ってみた学校。

半年ぶりだった。・・・・すると。

『生きてたんだ!』

『変わったね・・・』

物珍しそうに自分を見つめる顔、顔、顔・・・・・。

あぁ、もー家に帰りて〜。

勿論帰れるはずもなく授業が始まるわけで。

全く何もわからない。

体育の授業もついて行けない。

人生終わった。マジで絶望だ。詰んだ。

マイナス思考に引きずられるオレ。

うらしま太郎とおんなじだと思った。

病院は竜宮城ではない。

だけど、何もしないで過ごした6ヶ月間はオレから全てを奪っていた。

この続きはまた明日。

※明日、オレの話は好転するよ!またきてね(^^)/

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

手取り17万のサラリーマンがフェラーリオーナーになっちゃった。
自他共に認める車大好き人間。

コメント

コメントする

目次
閉じる